ミトシロ書房の業務日誌

■出版社に勤めたのち、フリーランスの編集者・ライターとして独立。『入りにくいけど素敵な店』という著書も出しました。レシピ本や街情報誌が得意なのですが、最近は書籍(単行本)を企画から校了まで、出版社の編集者さんとタッグを組んで制作請負などをしています。週刊誌はレシピなどのグラビアページをはじめ、文字みっちりの取材モノにも取り組んでいます。
■WEBメディアの仕事も歓迎します。場合によって写真撮影、取材コーディネート込みでお受けします。
■四柱推命、周易、断易できますので、占いのご用命もどうぞ。

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2012年3月11日日曜日

1年

昨年3月上旬、会社へ辞意の表明。
3月11日、会社員編集者として
最後の取材中に地震に遭いました。
3月10日、つくばの中華レストランで
カメラマンと昼食をとっているときに、
地面に台車がついたかのように、
ぬるぬるとゆらめくような
横揺れを感じました。
この日、取材・撮影をしていた
別チームが撮った写真。
ダークグレーの空と、妙な形の雲が写っていて、
結局それは雑誌に掲載したのですが
怖くて見返すことができません。
翌日の3月11日も、つくばの
産業技術研究所(産総研)に向かっていました。
15時の取材アポだったのです。
14時46分は、つくば市の職員を乗せて
クルマで移動中でした。
「もうちょっとで現地!」というときに、
民家のブロック塀が崩れて、
車道側に一気になだれ込んできました。
産総研のハイテクロボットたちは
主電源、二次電源を失い、完全沈黙。
取材対応をしてくれるはずだった
職員とも連絡がつきません。
取材をあきらめ、市内のカフェに避難。
壁全面に巨大モニターを複数台備えた店内で
被災地からの映像が次々に入ってきました。
(スポーツカフェなので、モニターも
むやみにでかくたくさんあって、音も迫力満点・・・)
「何が起こっているのか」を
臨場感たっぷりに知りました。
・・・そんなわたしの話はいいのです。

それから1年後となる2012年3月11日、
追悼式のようすをラジオで聴きました。
わが家にもわが事務所にもテレビ、ありませんから。
特集番組とか記念番組とか、
無難でセンチメンタルな映像や言葉を集めて、
なんになるのさ。
絆とかひとつになろうとかみすずとか、
そんなので人を救えないじゃない。
「あの日から人生観が変わった」とか、
人がたくさん亡くなったのをテレビやラジオ、
新聞で知って変わる人生観ってなんなのさ。
1年経ってまだなんも解決していない。
「現実的に」人を救うのは人であって、
それに気づかない人、
この期に及んで原発を再稼働しようなんて
言ってる人、まじでちょっとどうかしている。

(木村悦子)