ミトシロ書房の業務日誌

■出版社に勤めたのち、フリーランスの編集者・ライターとして独立。『入りにくいけど素敵な店』という著書も出しました。レシピ本や街情報誌が得意なのですが、最近は書籍(単行本)を企画から校了まで、出版社の編集者さんとタッグを組んで制作請負などをしています。週刊誌はレシピなどのグラビアページをはじめ、文字みっちりの取材モノにも取り組んでいます。
■WEBメディアの仕事も歓迎します。場合によって写真撮影、取材コーディネート込みでお受けします。
■四柱推命、周易、断易できますので、占いのご用命もどうぞ。

お仕事のご依頼は necocco2010☆gmail.com (☆を @ に変えてください)まで。

2011年12月21日水曜日

夜明けのスキャットと絆と2011年

四谷荒木町で「易占い」を習っています。
きょうは、今年最後の授業なので
ことしを締めくくりながらの授業でした。

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夜明けのスキャットが流行ったのは1969年。
2011年、この曲は不思議な縁を得て
リバイバルヒットすることとなった。

算命学(四柱推命のきょうだいのような学問)では
1969年と2011年は同じ「艮(ごん)」の年。
艮は東北、つまり鬼門となる。
2011年にはじまった艮はの2012年まで続く。
真っ暗闇のなかで暗中模索している状態だが
闇のなかにこそ、次の光、新しい時代の空気がきざす。

新しい時代、2013年は石門星(四柱推命では劫財)の年。
この星が意味するのは、「絆」、「仲間」。
2011年という闇のような年のなかで、
たしかに次の時代の空気は生まれていて、
その気配を敏感にキャッチして
「絆」という流行語が生まれたといえそうだ。

歌は世に連れ、世は歌に連れといわれる。
真っ暗闇のなかの「夜明け」の気配・・・。
夜明けのスキャットも絆も、
次の時代の空気をあらわしているはずだ。

夜明けのスキャットが流行したころ、
安保闘争のまっただなかだったという。
その「革命」の結果としてのいまの社会がある。
2011年の「革命」の結果は・・・・・・。

(木村悦子)

2011年12月7日水曜日

食べる天才 その1

久しぶりに飲食店取材などをしています!
飲食店業界の人にお話を聞くと、
なんかいちいち感動しちゃうんですよねー。

社員編集者時代、こんなブログ記事を書きました。

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取材のとき、記事を書くためにひと通りお話を聞いたあと
「最後に、どうして料理の道へ?」
と、極めて個人的な質問をすることがあります。

すると、

「昔から料理がなぜか上手だったから」
という答えが返ってくることがとても多い。

「家庭科の時間に、白玉だんごのような
簡単なものを作っても、自分の作るのが
圧倒的においしいと評判だった」

「運動部に所属していて、女子マネージャーが
差し入れ料理を作ってくれることが多かったけど、
僕が作るちょっとしたモノのほうが人気だった」

というようなことをおっしゃいます。

「材料を見ただけで完成時の味が想像できる」

といったコメントもよく聞きます。

名の知れたシェフや板前さんだと、
WIKIなどのWEB上で生年月日がわかるので、
編集業の傍らで四柱推命鑑定士などをやっているわたしは
こっそりその人の命式(運命を読み解くための見取り図
のようなもの)をこっそり拝見します。

すると、

料理人で出世している人には
“食神(しょくじん)”という飲食を愛する星が
命式の中で輝いていることが多い!
食神をもっていて、それが他の星から
傷めつけされていないと
一生衣食住に不自由しないとされるのです。
そしてのほほんとした愛嬌があって、
女性だと巨乳になる確率が高いとも(真偽不明)。

食神と陰陽を逆にする“傷官(しょうかん)”はセンスの星。
料理の世界では、盛り付けのきれいさ、
繊細な味覚などに作用するようです。

編集者、カメラマンは特にこの星がという傾向はないみたいです。
ページを作る、写真を撮るにしても手段や作風はひとそれぞれで
そこにその人らしい持ち味が出てくるというわけです。

四柱推命って当てモノの占いというよりは
体系だったひとつの学問。
太陽と月と地球との関係が作り出したある“時間”
(=生年月日)に「オギャー」と生まれて空気を吸う。
そのことによって、その人の持ち味の半分以上が決まる。
あとは、DNAや人間環境がどう作用するか?? ってこと!

…って、あれれ? ついてこれました、大丈夫? 
マニアックなお話ですみませんでした。

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追記

傷官の人が作る料理は盛りつけがキレイです。
キャラについては、ほんとうに毒舌!!
例えば一緒に食事に行って料理がおいしくないと
「まずい!」と大声でいいます。
正財+偏財+偏印のわたしはおおあせり。
職人気質だから、同じ料理人に厳しいのです。
でも味覚が優れているので、微量の隠し味を当てる。
これはかっこいい。

今回は「のれん分け」や料理修業に関する
イケナイ話をたくさん聞いてきました(記事には書かない)
食に関するお仕事の人は、朗らかでいい!!
食べる神様に祝福されている。

<続く>


(木村悦子)

2011年12月1日木曜日

お年寄りはニッポンの宝

電車移動中新しいお仕事のご依頼の電話が入り、
いつもの駅からひとつ手前で降りました。

てくてく歩いていると、困った顔の
おばあちゃんが声をかけてきました。

「すみません。教えてください」

―えっ、わたしにですか?

「じつはお菓子屋さんを探していて・・・」

―なんていうお店でしょう?

「名前はわからないんですが、なんか洋菓子の・・・」

ここは岩本町。
このへんでお菓子屋さんっていえば『万惣』か『近江屋』かな?

―それきっと近江屋(おうみや)ですね。

「おおみや(大宮)? おおみや(近江屋)!
たぶんそれです」(おばあちゃん)

近江屋は、岩本町とわが社の間ぐらいの立地。
親切なわたしは、おばあちゃんをご案内することに。

すると、後ろのほうからお連れのおじいちゃんが
とことことついてきます。
ああ、おじいちゃんも一緒で迷ったのね(笑)。

道中、

―こちらは万惣(まんそう)ですよー。
ホットケーキとか有名。

「ああ、昔行ったことがあります」(おじいちゃん)

―で、こちらが有名な『神田まつや』です。

「あらー、よく行くんですよ」(おばあちゃん)
(おばあちゃん、近江屋はその裏だぜ。
盛大に迷ったんだね、なになにえっ、神保町から・笑)

「この裏にもう一軒有名なお蕎麦屋さんありますよね」(おじいちゃん)

―そうです。『藪そば』ですね。
鳥すきの『ぼたん』とかも有名ですよね。

などと、ちょっとした観光気分。
聞くと、埼玉の志木からお見えになったそう。

近江屋につくころには、なんだか代理親(祖父母)孝行気分で
すっかり打ち解けていました。

地元で働いていて方向一緒で、東京のグルメ事情に詳しい編集者である
わたしに声をかけるとは、おばあちゃん見る目あるねー、なんて。

・・・というわけで、みなさんもお年寄りには親切にしてくださいね。


ついでに木村家のお年寄りのお話を。

台所に立たないどころか、お茶のひとつもいれない九州男児。

お風呂からあがったら
「よー」という。
ばあちゃん「はーい」とタオルと着替えを持っていく。

食後の「よー」は
「お茶いれろ」のサイン。

用件も言わず、ばあちゃんの名前も呼ばず。

三味線をはじめたばあちゃんに
「へたくそだからやめろ」と一喝。
ばあちゃん「へたくそだから習っているのに」と
三味線お蔵入り(笑)


末の娘がずーっとヨメにもいかずに高齢に。
ある日連れてきただんなさま候補(バツイチ子あり)に
「木村家にそんな男はだめだ!」と大怒り。
結婚式の写真、じいちゃん顔コワイ。
まあまあ、せっかくのイケメンが台無しよ。
まあ、結局みんなかよくなるのですがね。


じいちゃんはなかなかの長生きさんで、
次男の還暦祝いをした翌日に
「おれの役目は終わった」とばかりにぶったおれたそうです。

昭和元年生まれ、平成最後の硬派九州男子・木村一之殿。
いっぱい働いて立派な会計事務所をつくり
立派な家を建ててばあちゃんをだいじにして。
いい人生やったやんか!

病床にて、
口もきけず、手もあがらないじいちゃん。
ばあちゃんと二人マジに見つめ合っちゃってて、もう・・・。


(木村悦子)